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ノンケを好きになってしまったノンケじゃない人の話
こたつに下半身を突っ込み、上半身は裸で万歳のポーズを取ったその男は、目だけで俺を見ていた。
寒いのか乳首が立っている。
「マッサージの出張サービス」
表向きはそんな名目だが実際はセックスを売っている。
1時間で1万5千。
内容は、まあ…色々。
俺は追加料金次第で何でもやっていたが、後輩が客に無茶やられて以来、用心するようになった。
目の前の客はどうだろう?
痩せてて鍛えてなさそうな身体だが、肩から腕にかけては筋肉が程よくついている。
歳は俺より10歳以上、年上か。
短い髪の毛に少しだけ白髪が混じっている。
鴨居に、スーツパンツとYシャツ、ベストがセットになった状態で何着か吊るしてあるが、どれも安物だ。
黒い皮のビジネスバッグは使い古されてて、ところどころ塗装が剥げ、茶色い皮の地色が見えている。
仕事は恐らくタクシーの運転手とか、そのあたりだろう。
部屋には押入れ以外、収納が一切無いが、俺を呼ぶために急きょ片付けたのか、最初から物が少ないのかは知らないが、散らかってる感じはしない。
畳にタバコを落として焦げた跡。
肝心の顔は…疲れたような眠たい目をしている。
鼻は、少しかぎ鼻だが形は良い。
髭は剃り残しもなく綺麗にあたってある。
元もと髭が少ないタイプなのかもしれない。
唇は渇いて荒れているが、その奥の歯並びは綺麗だ。
案外、悪くない。
さて、この男はどんなプレイを要求して…
「あのさー。きみ、男だよね?」
こたつに寝たまま言った。
待て。
まさかこれは普通のデリヘルと間違えてしまったとかそう言う展開なのか。
「はい。見てのとおりですが…」
男は何とも言えない表情をしている。
口をうっすら開け、小さい文字を読んでいるかのように目を細め、眉間に皺を寄せつつも眉尻は困ったように下がっていた。
「そんなばかな…。僕はマリアちゃんをお願いしたはずだが」
「あぁ…。俺はヒロムなんでマリアちゃんじゃないですね」
気まずい沈黙が落ちる。
こたつに入って乳首を立ててる男は、俺から目を放すと天井を見上げた。
その眠たい瞳は、天井のさらに上に広がっているであろう冬の青空を見ているかのように、遠い。
「…マリアちゃんにチェンジできる?じゃなかったら第二候補のシャーロットちゃんでもいいよ。シャーロットちゃんは金髪で小顔で巨乳でウエストがキュッと締まってて、得意なのはフェラと編み物。身長149cmのロリ顔…」
当店のシャーロットちゃんは黒髪で四角い顔で巨根で小振りの尻がキュッと締まってて、得意なのはフェラと極真空手(弐段)。身長188cm。探偵のコスプレしたオネエです。
とは流石に言えない。
「…お店を、お間違えになったんだと思います。俺はこれで失礼します」
ここはさっさと帰るに限る。
下手にキレられたら厄介だ。
「あっ…。待って。じゃあ少し話をしない?」
ノンケなんかに用はねえ。
「有料になりますが」
「いいよ。きみもお金もらわなかったらお店の人に怒られちゃうんじゃない?」
怒られるわけがない。
事情を話して次の客を取れば良いだけだ。
俺は人気がある。
次の客もすぐ取れるだろう。
だが話を聞いてやるだけで1万5千は魅力的だ。
プライベートなら下らない愚痴なんぞ聞いていられないが、仕事なら別だ。
俺は笑顔を作って言った。
「お気遣いありがとうございます。でもいいんですか?1時間1万5千円。先払いですよ」
「そんなにするのか。でもそんなもんか。」
そう言うと、男は背中で這いずって頭上にあったポーチから財布を取り出し、俺に1万5千円を渡した。
こたつに隠れていた下半身が膝まで見える。
緑色の地にピンクの花柄という有り得ないトランクスに若干引いたが、ここは仕事場だ。
俺は、男から受け取ったしわくちゃの札を仕事用の財布に突っ込みながら「ありがとうございます」と満面の笑顔で言った。
男が照れくさそうにする。
「うん、いや…。あ、そうだ!飲み物を持ってこよう。こたつ入っててよ」
そう言うと、わき腹をぼりぼりと掻きながら立ち上がって台所へ向かう。
「あ、お気遣いなく。飲み物、持ってきてるんで」
こたつに入りながら言った。
恐らくこのこたつ布団は買ってから一度も洗っていないのだろう。
あちこちに何かの染みがこびりついている。
ふと横を見ると、片付け忘れたのか、真っ黒い毛糸のセーターらしきものが布団の上にわだかまっていた。
どかそうと手を伸ばすと、それは黒い猫だった。
無遠慮に触れられているのに鳴きもせず、不愉快そうな顔で俺を見る。
思わず敬語で謝り、手を引いた。
「…ビールあるけど」
「すみません、規則で飲み物は持参することになってるんで…」
「ふーん…。ああ、客に変なもの飲まされる事があるのか」
そのとおりだ。
俺の後輩もSMプレイ中、客が出した飲み物を飲んで意識を失い入院する羽目になった。
その客は入院費もプレイ代もきっちり払ったが、後輩はこの仕事を辞めた。
そうか、危ないもんなと男は1人で納得し、自分のぶんだけ缶ビールを持って来た。
俺も持参のペットボトルを出す。
「んじゃとりあえずカンパーイ」
「乾杯」
ぐだぐだな空気の中、名目無しで乾杯する。
缶ビールのプルタブを引く心地よい音が部屋に響く。
「あ〜。美味い。えーと君…ヒロム君だっけ。ヒロム君も飲みたくなったら言ってね」
いま気付いたが、この男、声も悪くない。
俺は愛想良く相槌をうった。
「そうだ。つまみくらいは良いんじゃないか?スルメとニボシしかないけど」
「本当にお気遣いなく」
小さい冷蔵庫からツマミを持って戻る。
膝の上で丸くなっている黒猫の耳がぴくっと動いた。
「しっかしなあ。マリアちゃんがどうしてヒロム君になったのかなあ」
男はタバコに火をつけ、しみじみと言った。
知らねえよ。
「この仕事って儲かる?俺でもできるかな?タクシーの運転手してたんだけど渋くてさ…」
「男相手でも平気ならできますよ。でも、うちの業界も全盛期に比べたら渋いって話ですね。それにお客さんみたいに良い人ばかりならこっちも楽しく仕事できるんですけど、嫌な奴も多いですし」
「そっかー。そうだよな。お客は選べないもんね。俺もだ」
「言われてみればタクシーもお客さん選べないですよね。俺は断っちゃうことたまにあるけど。汚部屋に呼ばれた時は靴も脱がないで帰りましたね。3秒も居なかったんじゃないかな」
男は笑った。
笑うと目じりに小さな皺が寄る。
愛嬌があっていい。
「タクシーも一応、乗車拒否できるんだよ。僕はまだしたことないけど。車内で酔っ払いが吐いちゃったりすると、乗せるんじゃなかったって思うよなー。あといかにもヤクザな人とか」
「ヤクザは怖いですね。普通の人にしか見えないヤクザも多いから見分けつかない事あるけど。一般人ぽい格好してても雰囲気で分かりますよね。まあ話したりヤったりすれば隠してても絶対、分かっちゃうけど」
「そ、そうなんだ」
男の顔に、一瞬だけ嫌悪の表情が浮かんだ。
俺の見間違いかもしれないし被害妄想かもしれない。
だが何故か心が痛んだ。
それも激しく。
「…この仕事、人を見抜けないと危ない目に合ったりするんで」
言いわけじみたことを言って後悔した。
しかも言いわけになってない。
「そうかあ。怖いよな。タクシーもだけど、こうやって2人きりになるわけだし。それにタクシーだったら、お客さんとの間にアクリルのセーフティボードを入れられるけど、きみの仕事は体当たりだもんな」
「体当たり」
言い回しが面白くて笑ったが、心は痛んだままだ。
男も笑っている。
まあいいか。
一見の客相手に傷ついても仕方ない。
「僕もなー。芸能人だったら変装してても何となく分かるけど」
「芸能人を乗せたことあります?」
「あるある!それがアイドルの子を乗せたんだけど…」
俺たちは下らない話で盛り上がった。
結局、男が俺の分もビールを出して来たので乾杯しなおし、ご馳走になった。
ビールは冷えてて美味い。
ニボシは賞味期限が切れてたが、寝ていたはずの猫が突如テーブルに乗り、全部たいらげてくれたので、それも話のネタにして笑った。
痛んだ心もビールが全部、流してくれた。
それにしても、ノンケの男とこんなふうに話すのは久しぶりだ。
そもそも最後に楽しく飲んだのはいつだっただろう。
身体を売るようになってから心の底から笑う事が少なくなった。
金はあるのに何をしても虚しさが残る。
極めつけは人を好きにならなくなった。
好みのタイプが現れても何とも思わない。
かっこいい客に真剣に告白されても、仕事と割り切って付き合うことしか出来なくなっていた。
いや、そんな事はどうでもいいか。
発想が暗いよな。
俺は軽く頭を振った。
「あれ?もう酔っちゃった?」
男が冷やかしたように聞いてくる。
「いや、髪がちょっと」
適当にごまかした。
「確かに邪魔そうだよね、ヒロム君の髪型。そうだ!坊主にしちゃえば?」
「嫌ですよ!俺、実は人相あんまり良くないんで…。坊主にするとお客さん減っちゃうかも」
「えーそうかな?どれ」
男はそう言うと俺の額に手を伸ばし、俺の前髪を上げた。
「可愛いじゃない」
そう言って屈託なく笑う。
こいつ本当にノンケなのか。
いや、ノンケだからこそか。
俺は顔が熱くなったような気がしたが、それは酒のせいにした。
1時間なんてあっという間だ。
あと5分と言うところで話に間ができ、沈黙が訪れた。
黒猫は俺の膝の上で丸くなって寝ている。
男は小さいため息をついて、少し寂しそうな笑顔を見せた。
「…延長、します?」
いつもならさっさと引き上げるのだが何となく聞いた。
延長は30分で5千円だが、俺の取り分をサービスしてやれば2千円まではまけてやれる。
ビールを5本も空けてしまったし、このくらいはいいだろ。
猫も退く気配が無いしな。
「いや、いいよ。すごく楽しかった」
「安くしておきますよ」
「あはは、魅力的だ。でも俺、今週中にここ出なくちゃいけなくてさ。実は車やっちゃって仕事できなくなってさ。それで最後の金で初・風俗!と思ったんだけど、どうも縁が無かったみたいだ」
男は「あ、言っておくけど童貞じゃないよ」と付け加えた。
そんなどうでもいい情報より、いきなり重い話を混ぜて来たので俺は閉口した。
それにしても最後の金を風俗に使うなんて馬鹿な男だ。
気持ちはわからないでもないが、だったらちゃんと女を呼べよ。
何で俺なんかと飲んでるんだよ。
「でもまあ、ヒロム君が来てくれて良かったよ。本当に楽しかった。ありがとうね」
何もかも諦めたような目。
胸の奥がざわざわし、落ち着かない気分になった。
思わず膝の上の猫を見る。
黒猫は薄目を開けて俺を見上げていた。
何だよその目は。
止せばいいのに俺の口は勝手に開いた。
「…仕事辞めて、ここを出るんですよね?あてはあるんですか?もしお客さんさえよければ俺んち来ません?」
くそ。
また余計な世話を。
俺は何度か、出会ったばかりの男を自宅に連れ込んでいる。
その度に後悔しているのだが、男を拾う癖はなかなか治らない。
しかし目の前の男は、俺の予想に反し、両手を胸の前でクロスさせ、むき出しの乳首を両手の先で隠し、しなを作って
「まさか、あたしの身体目当て…!?」
と言った。
静まりかえる。
そして同時に爆笑した。
きめえ。
猫がうざそうに小さく唸る。
「安心して下さい。俺の好みはもっとハンサムで、がたいの良い体育会系なんで」
笑いながら言う。
「ひどいな。そりゃ僕はハンサムじゃないけどさ」
「あとお客さん、トランクスの柄が酷いからプライベートじゃ無理ですね」
「ああ、これ!近所のスーパーでワゴンセールで買ったんだよ。3枚セットで、見えてる一番上のパンツは普通の無地だったから油断したんだよ。僕も袋を開けてびっくりしたよ」
膝立ちになり、気持ち悪い柄のトランクスに両手を突っ込んですそを広げ、俺に見せびらかしながら言った。
「座って下さいよ。そんな下着なら、はかないほうがマシだ。そうだ今すぐ脱いで下さい」
「嫌よ!脱いだら犯されちゃう…!」
また爆笑する。
ひとしきり笑ったが、時間が無いのに気が付いた。
「ともかく。本当にどうします?俺はかまいませんよ。仕事が見つかれば住む場所だってすぐ見つかるだろうし。俺の部屋、3LDKでそこそこ広いし」
「…ん。ありがとうね。でも、大丈夫」
「本当に、あてはあるんですか?」
「………」
俺は自分の鞄から店の名刺を取り出した。
“ヒロム”という源氏名と、店名が書かれてる。
名刺の裏に、携帯番号と住所、あと本名をボールペンで書いた。
立ち上がってそれを渡す。
「俺、もう時間だから行かないといけないんですけど、これ渡しておきますから。連絡下さい」
男は不思議な顔をして俺を見上げた。
「…どうして見ず知らずの僕に良くしてくれるの?しかもこんなくたびれたおっさんに」
膝から降ろされ、不満そうな顔をしてる猫も俺を見上げている。
少し迷ってから
「ビール、ごちそうになったんで」
と言って、俺は男のアパートを後にした。
男は小さく「ありがとう」と言って、俺を見送った。
後日。
俺の膝の上に、黒い猫が不機嫌そうに丸まっている。
結局、男は連絡を寄こさなかったが、俺の方から男を訪ね、拉致するように自宅に連れて来た。
俺が男のアパートを奇襲したとき、男は家財道具の全てを処分し、身なりをきっちりと整え、部屋の中央に敷いた青いビニールシートの上で正座したまま、目の前に置かれたアンテナケーブルをじっと見つめていた。
男の膝には黒猫がどんと座っていて微動だにしない。
「…猫が…退いてくれなくて…」
男は小声で言った。
俺は、腹が立っていたのかもしれない。
無言で男を殴りつけ、そのまま男の襟首を掴み、無理やり立たせた。
猫は体重を感じさせない動きで俺たちから逃れ、開けたままのドアに身体をすりつけている。
男は俺より身長があったが、何も言わず無気力なまま、俺に引きずられて部屋を出た。
よろよろとした足取りの男を車の助手席に押し込み、ついてきた猫もついでに後部座席に放り込んで車を発進させた。
そんな次第で男は今、俺の部屋で寝ている。
心身ともに衰弱しきっていたので1日だけ入院していたが、肉体的には自宅療養で問題ないと医者に言われたので引き取って来た。
あとは心の問題が残っているが、仕事が見つかればこちらも何とかなるだろう。
ちゃんとした職が見つかるまで、俺の専属運転手として雇ってもいい。
元々タクシーの運転手だったんだ。
問題ないだろう。
むしろ問題は俺の方に残っている。
男のアパートを奇襲したとき、既に腹は決まっていた。
きっと俺は酷く後悔するだろう。
ノンケを本気で好きになってしまったなんて馬鹿にも程がある。
膝の上で不機嫌そうに俺を見ていた黒猫が、身をよじって腹を見せた。
黒猫が初めて見せたその胸に、小さく白い模様がある。
白い模様はハートマークにそっくりだった。
俺は大きなため息をつき、黒猫の小さいハートマークを指先で掻いてやる。
そして柄にもなく
「あの男と上手く行きますように」
と黒猫のハートマークに向かって願掛けた。
黒猫は、願いを聞き届けたかのように喉をならした。
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