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2012 ハロウィンSS


 10年前のハロウィンの晩。

 その人は時と場所を選び、綿密に計画し、供物を揃え「彼」を呼び出した。

 現れた「彼」は少年のように見えた。

 しかし頭には大きな角を、背からは真っ黒な羽を、腰からは同じく黒い尾を生やし
その尾を鞭のようにしならせ、地面を打った。

 焦げたのであろうか、打たれた箇所からは臭気のする煙がもうもうと立ちのぼる。
 「彼」の顔は美しかったが、金色に燃える瞳は猛獣を思わせた。

 「願いを言え。」

 静かに言った。

 口から吐かれる息からは甘い匂いがする。

 黒いビロードの腰巻は「彼」の下半身を足首まで覆っていたが
裸の上半身は夜に映え、怪しい美しさを際立たせ、青白い銀粉をまぶしたような肌は
きらきらと輝いていた。

 その人はしばらく「彼」に見惚れていたが、やがてひれ伏して言った。

 「私は余命3ヶ月と宣告されました。3ヶ月だけでかまいません。私の傍に居て下さい。
  私の恋人になって下さい。」


 「彼」は、けたたましく笑った。

 目は笑っていなかったが。

 ひとしきり笑ったあと、大きな瞳をさらに爛々と輝かせ、低い声で言う。

 「お前の神に聞いてみろ。悪魔と寝ていいか、と。」

 しかし、その人は孤独なまま生きることに絶望していたので、神など
とっくにどうでも良くなっていた。

 かくして「彼」は、その人の恋人になった。

 たった3ヶ月間だけの恋人に。

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 そして今日。

 ハロウィンの日。


 その人は朽ちた城に来ていた。

 かつては荘厳で美しかったのであろう、正面の大扉は大きく傾き、
一頭だての馬車なら通れてしまいそうなほど隙間が開いている。

 壁という壁には枯れた蔦が這い回り、窓がどこにあるのかもわからない。

 腐った臭いが立ちこめている。

 空を飛ぶ鳥も、小さな動物もいない。

 虫さえ見当たらなかった。


 ここは、かつて湿地の中に建つ美しい城だったが、恐ろしい悪魔が住みつき
なにもかもが腐った。
 城に住んでいた人間はおろか近隣の村々に住む者までが、この悪魔の
餌食になってしまった。

 新たな城の主は人間を犯し、殺し、食した。

 そして誰もこの城に近づかなくなった。


 その人は一度だけ城を見上げたが、すぐ首を下げ、泥でぬかるんた足元を
しっかりと見据え中へ入って行く。
 ぐちゃぐちゃと粘り気のある泥から足をようやく引き抜きながら、その人は「彼」のことを考えていた。

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 3ヶ月間だけの恋人。

 その人が死んだら肉体はおろか、魂も、何もかも全てを「彼」に捧げるはずだった。

 しかし何の奇跡か、それとも神の皮肉なのか。その人は生き延びた上に、病気も完治してしまった。

 そして「彼」は、人間との契約を守れなかったとして罰を受け、この城に幽閉され
毎日、毎晩、城の主にその身を蹂躙されている。



 なんとしても助けたかった。

 しかし、この城まで辿りつくまで10年もかかってしまった。

 「彼」は無事だろうか。

 私を覚えているだろうか。

 私のことを恨んではいないだろうか。



 悔恨の想いに気を取られていたのか、ぬかるみに足を取られ、その人は大きく転び
泥の中に手をついた。

 すでに城の中に居るのだが、床は泥で覆い尽くされていて外にいるのと変わらない。

 泥からは異様な臭気がする。

 思わず顔を背けると、視線の先に5段ほど上がる階段が見えた。

 ひとまず手の泥を落とそうと階段に向かう。

 階段を上がった先は円形の踊り場になっていて、その先は地下に向かって
さらに階段が伸びていた。

 背負った鞄から手ぬぐいを出し、泥だらけになった皮の手袋ごと手を拭う。
 無駄とは思いつつ、足も拭おうと階段に腰掛けた。


 ふと、地下から、濃くて甘い匂いが漂ってきた。

 その人は持っていた清潔な手ぬぐいを泥の中に落とし、真っ暗な地下へ続く階段を見据えた。
 驚きに固まっていた表情が、ゆっくりと歓喜の表情に変わる。

 かつて「彼」が吐息をもらすたびに嗅いだ匂い。
 甘く、頭の芯までゆっくり溶けていくような香り。


 間違いない。

 忘れるはずもない。


 その匂いを嗅いだとたん、その人は「彼」と過ごした甘い日々の全てを思い出した。



 他愛のない、穏やかで幸せな日々。

 「彼」は、ときに悪魔らしい一面 ─── 例えば、葬式に紛れ込んで棺おけの死体と
生きた人間をすり替えて遊ぶなど ─── も覗かせていたが、普段は人間として振舞っていた。

 一緒に買い物に行き、料理を作り、暖炉の前で他愛ない話をし、天窓から差し込む月を
一緒に見上げ、抱き合って寝た。



 いてもたってもいられなくなった。

 その人は泥から足を引き抜き、乾いた階段へ足をかけた。

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 階段を下り、まっすぐに伸びた廊下を進むにつれ甘い匂いは濃くなっていく。

 歩みは先ほどよりも軽い。ここには泥が無く、床は乾いている。

 アーチ型の天井には木の根がぶら下がり、その人が持っているランプの明かりが動くたび
不気味な影を落とした。

 1時間も歩いただろうか。

 乾いていた廊下はいつの間にか濡れていた。

 かまわず進む。

 水位はどんどん上がり、とうとう膝まで水に浸かってしまったが、その人は歩む速度を変えない。
 むしろ今にも駆け出しそうになっている。

 先ほどから、暗闇の奥の方より声が聞こえるのだ。

 苦痛とも快楽ともつかない声。

 声に混じって、柔らかい「何か」を打ちつけるような音。
 じゅるじゅるという不快な音も一定のリズムで続いている。

 とうとうその人は走った。

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 息を切らし、ついには腰まで来てしまった水をかきわけ、長い廊下を抜けると大きな広間に出た。

 手に持っていたランプはとっくに水に浸かり、天井の隙間から漏れるわずかな月明かりを頼りに
ここまでやって来たのだが、ランプなど必要ないほど広間は明るかった。
 壁に穿たれたいくつもの穴には火のともった青い蝋燭が所狭しと置かれ、広間を青灰色に染めている。

 蜜を垂れ流している蝋からは温かみが感じられず、青白い炎が揺れるたび
まるで頭の先まで水中にいるような錯覚を覚えた。

 正面の奥には、広間の幅いっぱいに広がった10段ほどの階段がある。
 階段を上がると板が張られた舞台があり、その一番奥に、薄汚れ、あちこち穴の開いた
真紅の緞帳(どんちょう)が下がっていた。

 匂いも声もその緞帳の向こうから漏れている。

 緞帳の穴の向こうは真っ暗だ。


 「迎えに来ました」


 その人は広間の中心で止まり、真紅の緞帳に向かって叫んだ。

 音が止まる。

 恐ろしいほどの静寂。

 蝋燭の芯が炎に炙られる音が、やけに大きく響いた。

 「……迎えに来ました。私と一緒に帰りましょう」

 その人は臆すことなく言った。

 真紅の緞帳に開いた穴から、猛烈な臭気がその人の顔を叩く。

 耐え切れずむせた。

 目や喉が痛む。

 毒かもしれない。

 その人はもう一度言った。

 「私です。10年前にあなたに助けてもらったのを覚えていますか。余命3ヶ月だった私が
  助かったのは、あなたが私に命を分けたからだ。そのせいであなたは
  こんな所に捕らわれてしまっている。だから助けに来ました」


 緞帳の向こうから嘲笑が湧いた。

 「…助けに来ただと?」

 「彼」が姿を現した。

 10年の歳月を経てなお若く美しい。

 その人は再び恋人に会えた幸せで、目に涙を浮かべた。

 「そうです。助けに来ました。私と共に帰りましょう」

 再び「彼」が高らかに笑う。

 ひとしきり笑うと、一瞬にして恐ろしい形相になり一言「去れ」と言った。

 「いやです。あなたをここから連れ出します」

 「無理だ。たとえお前が神でもな。去れ。ここの主が俺で遊んでいる間に」

 「できません」

 「去れ」

 そう言い捨てると、「彼」は緞帳の向こうに消えた。

 また音がする。

 不快な音、規則正しく何かを打ち付ける音。

 その人は、拳を強く握り締めた。
 食いしばった唇から血が出ている。

 その人は腰まである水を掻き分け、ゆっくりと階段を上がった。

 靴も服も水を吸って重い。
 水から上がりきっても、靴は歩くたびにばしゃばしゃと音を立てる。
 身体は冷えきり、足先の感覚は先ほどから無い。

 階段と真紅の緞帳のちょうど真ん中あたりまで歩き、その人は天井を見上げた。

 天井には美しい天使の絵が描かれていた。

 天使は人々を祝福し、ふっくらとした顔に優しい笑顔をたたえている。

 その人は天使を悲しい目で見つめると、ポケットの中から震える手で小さな銀のナイフを取り出し
上着の袖をめくり、あっと言う間に両方の手首に突き立てた。

 ナイフを抜くと鮮血が噴出す。

 「学んだのです!あなたを取り戻す方法を!」

 そう緞帳に向かって叫ぶと、両手首から吹き出る血で地面に模様を描きだした。

 複雑な模様を一気に描き終えると、模様の中心に仁王立ちになり、今度は銀のナイフを
両方の太股に根元まで突き刺した。
 そして背負っていた鞄から模様が刻まれた何かの骨を取り出し、全ての傷口に
その骨を突き立てた。

 両手首と両足に深々と刺さった骨は自らの意思を持つのか、さらに深く突き刺さろうと
傷にめり込んで行く。

 激しい痛みに絶叫しそうになるが、口の端でそれを押し殺す。

 そして鞄の中にあった小箱を取り出し、中に入っていた親指ほどの大きさの黒い塊を飲み込んだ。


 その人の身体が大きく揺れた。


 同時に血で描かれた床の模様が、血の流れと共に大きく広がる。

 血の匂いを嗅いだのか、緞帳の隙間から触手がするすると伸びてきた。

 この城の主の「一部」なのかもしれないその触手は、ぬめる表面に刻まれた小さな皺を小刻みに動かし
ゆっくりとした動きでその人が描いた模様に近づいた。
 しかし何の魔法が施されているのか、触手は火に触れたような動きをし、それ以上
模様の内側に入って来ない。

 その人の目に凄惨な笑みが浮かんだ。

 視線は触手の向こう、緞帳の向こうに居るのであろう、触手の主を見ている。

 「この血は、もうすぐお前の身体に届く。そしてお前を食い尽くす」

 じわじわと血の模様が広がる。

 「この日のために身体中の血を毒に変えました。お前を滅ぼすためだけに。
 さあ、「彼」を返しなさい。そうすれば私はここから立ち去ろう」


 触手に通じたのか、それともその持ち主に通じたのか、触手はためらうように震えた。
 怒っているのかもしれない。

 「…お前はここから動けない。だから逃げることもできない。私が…このままここで死ねば
 お前は滅びる。…私にとってはどちらでもいい。私がここで死んでも「彼」は自由になりますから…」


 真紅の緞帳が大きくたわんだ。

 一斉に湧き出た数え切れないほどの触手が、うなりをあげてその人に襲い掛かる。
 しかし血の模様の上に来ると、どの触手も一瞬で焼けただれ、炭化し、力を失った。

 緞帳の奥で、水の中に潜む巨大な生き物が怒りのあまりに叫ぶような声がした。
 恐らく、城の主の声なのだろう。

 その人は不敵に笑うと、がっくりと膝を折った。

 「さあ……どうするのです……。「彼」を返してくれますか…」

 もう身を起こしていられなかった。

 血が流れ、身体中から寒気がする。

 その人は力なく血だまりに倒れた。

 意識が遠のく。

 耳の奥に暗く冷たい風の音が聞こえた。

 同時に何かの足音も聞こえる。

 死神が迎えに来たのだと思ったが、どうでもよかった。

 どうせなら「彼」の顔を見ながら死にたかった。

 元々、余命3ヶ月を宣告された命だ。
 それから10年も生きた。
 死ぬのは怖くない。

 耳の奥で聞こえる風の音がだんだん小さくなる。

 近づいて来る足音は大きくなる。

 その人の血で霞んだ視界に、白く美しい肢体が映り、像を結んだ。

 緞帳の奥から血だまりをものともせず、その人に向かって優雅に歩いて来る、白く、美しい肢体。

 「戻って来てくれたんですね……」

 言葉の最後の方は声になっていなかった。
 話す力も、もうすぐ消える。

 白い肢体は「彼」の像を結んだ。
 その姿を認めたその人は、心の底から微笑み、言った。

 「あなたは…自由です…」

 ことんと小さな音をたて、その人の頭が床に落ちた。
 その顔は幸せそうだったが、生きてはいなかった。

 緞帳の奥では、その人が流した血に焼かれ城の主が苦しんでいる。

 煙と臭気があたりを覆いつつある中、「彼」は、その人を冷たく見下ろしていた。

 「馬鹿が」

 小さく吐き捨てると、「彼」はその人をそっと抱いた。

 心臓はもう止まっている。
 血が流れきった身体はあまりにも軽い。
 水と血に濡れた肌は初めから死んでいたかのように冷たかった。

 「彼」が、その人の冷たく乾いた唇に口付ける。
 そしてゆっくりとした動きで、唇を舌でなぞった。

 「お前の命なんか軽いものだ。強力な魔術を使ったところで、しょせん人間だ。」

 独り言を言い、再び口付ける。
 今度は口の中に舌を入れた。

 「ほら、生き返りたくなっただろう?俺の口付けは甘い。いつまでも地獄に居ないで
  戻って来いよ…」


 また口付ける。
 時間をかけ、ゆっくりと丁寧に、唇と口内を自らの舌で弄る。

 すると、その人の瞳が少しだけ像を結んだ。

 瞳に、どちらともつかない涙が落ちた。

 「彼」は、また小さく「馬鹿が」と呟くと、その人を大事そうに抱いたまま、何処かに消えた。



 後には黒くなった血だまりと、炭化して崩れ落ちた城の主だったものが残った。



 「彼ら」が、どこに消えたのはわからない。

 どこか遠く。

 誰にも邪魔されない地で、幸せに暮らしているのだろう。

 



   HappyHalloween!& HappyEnding!






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